
レアリティの復活 2002
原始時代から綿々と続いている芸術の主軸となっているのは普遍性の有る、
真理の有る、今日的に 言えばレアリティの有るアートと言う事になっていた。
つい二、三十年前迄はレアリティが有るとか無いとかは芸術の分野では最重要な事であった。
しかし最近は遠くの彼方に忘れ去られついぞ聞く事も無くなった。
レアリティが有ると言う事が解るのは大変難しいと言わざるを得ない。レアリティとは何か?
一言でいえばそれは我々のいる宇宙の意識(波動)の事と思っている。
太古から現代迄のあらゆるジャンルの芸術活動はこの宇宙意識を感智して
それと共鳴する事に心血を注いでいる。 そしてそれと共鳴している芸術をリアリティが有ると言って来た。
宇宙の波動を感智する為には感性が鋭くなければならない。
感性が鋭いと言う事は芸術家にとって第一の要件である。感性は主に右脳の働きから来る様である。
我々は左脳教育を受けて来たのである。左脳は主に記憶力や言語能力を司っている。
そして試験をして成績が決められて来た。右脳は直感力や創造力を出す働きをする。
しかし右脳教育は現在も全く無視されている様だ。脳において重要なのは視床下部、
とりわけ松果体が創造力や宇宙の波動を感智する為に中心的な役割をしている。
こういう右脳の感性への目覚めは宇宙の深い神秘性や自然の素晴しさ、人間の可能性の凄さに気づく事になる。
そして命の大切さ。愛を知る事になる。愛の感情は右脳から来る。ところで宇宙には「神」は一つしかない。
宇宙という神しか。だから宇宙の中に在る物は全て神。星、太陽、月、地球、
空気、水、木、火、土、石、草、犬、猫、虫、貴方、皆神様である。
こう思うと周りの物全てが大切な存在となって来る。この様な考えは弱者と言われて来た人々、
例えばインディアン、アボリジニ、アイヌの人々、多くの未開人と言われて来た人々や昔の日本人の中に有った。
そしてその人々の知恵の中に人類が生き残る為の共生の思考が有る事が解ってきた。
現代は人殺しの上手な国が世界を支配している。遂にはこの一刻でも全ての人類を滅亡する事が
出来る迄になってしまった。そしてその様な国々の思考をあらゆるジャンルにおいて盲従しているのが
現在の日本の様に思う。この様な思考への追随は破滅への道へと引きずり込まれはしないか。
今だに外国での成功がもてはやされ誉められたと嬉しがっている。
破滅への道に拍車をかけていないか疑問である。芸術は人を生かす、活かす為にある。
この様な人を生かす方向への役目としての芸術や哲学は増々重要な位置を占めると思う。
レアリティの追求への衰えと人類が滅亡していく事が比例している様に思えてならないのは私だけであろうか。
生き残る為の哲学や社会の仕組み、文化の創造は急務を要する。自然や人々との共生。(支配ではなく)
宇宙の神秘性や人間の可能性の凄さ、愛、こういうものを内包した芸術を創造し、世界を支配している人々に
どんどんアピールしていかねばならない。 つまりレアリティの復活を。レアリティの明るさ、貴さ、深さは無限である。
到底人間の理解出来るところではない。しかし、それに対して無限に追求出来るという事でもある。
2002年9月
原田久